ネットの言論と編集

[id:rir6:20051121:1132563802] より:

まずインターネットにおいては著者=編集者な場合が殆どです。ですから当然記述様式などの公平性は雑誌などでの議論より格段落ちます(同じ所に双方の文章がありませんから一方の文章だけ読んで他方の文章を読まないということも多々あるし、ページを作っている人のページ作成のスキルの差によって読みやすさなども格段に落ちます)。

著者と編集者が分業することで質が高まるというのはその通りです。自分の文章に手を入れられるのを嫌う人もいるようですが、僕が何度か雑誌に書いた時は編集さんの直しは極力受け入れるようにしてました。その雑誌の読者を一番よく知っているのは編集さんだと思うので。

しかしネットの言論の場合もそういう分業は可能です。言論の完成度を上げていく形で議論を続けることは可能ですし、議論の外から「まとめサイト」的なものを作る人も出てきたりします。要するに読者が編集者になり、他の読者の目の前で編集作業が進んでいく感じです。ちょうどバザール方式のオープンソース開発のようなもの。

この方式の場合、work-in-progress な未完製品の言論が表に流通することになるので、読者の側にリテラシーが要求されるという欠点はあります。言論を利用する際にはその言論が安定したバージョンかどうかを自己責任で見極めなくてはなりません。このアナロジーで行くと Linuxディストリビューションみたいにある程度安定したバージョンをひとまとめにして提示するメディアの需要はありそう。