不安な足もと

エントリの本筋からは外れるけど、これが気になった。

見知らぬ他人から悪意や嫌悪感を向けられて、心が動揺する心理がイマイチ理解できない。(良く思考方法を理解している身内や友人から悪意を向けられたら、別の意味で動揺はするけど。それは生活に支障が出ると言う意味での防衛反応だから別の話だ)
人間という動物が持つ「嫌悪感」という現象に、無理矢理な理屈を付けるのが「文化」だ(void GraphicWizardsLair(void);)

いや、見知らぬ他人の悪意を知るのが怖いっていうのは普通にあると思うけどなぁ。一般人は一般的他者への信頼で心の平安を保っているけど、otsune さんは社会を信頼することで赤の他人がどう思うかのは関係なくそうできる、ということかな?

例えば街を歩いていてすれ違った人にいきなり殴られるかもしれない、などと心配しなくてすむにはどうしたらいいか。これには (1) フツーの人は赤の他人に対してそこまでの悪意を持たないだろう、と考えるか、(2) あるいは、我々の社会では人を殴ることは法に触れるし、そうでなくてもそんなことをする人は社会的な制裁を受けるから、フツーの人は(たとえ悪意があっても)いきなり人を殴ったりしない、と考える、という二通りのやりかたがある。*1

一般人は (1) なんだ、というと言いすぎかもしれないけど、(1) のタイプの人が赤の他人の心のドロドロしたものを目にしてしまうとダメージを受けてしまうというのは理解可能だと思う。自分にとっては誰でもない、知らない人のドロドロだからこそ、そういう人はどこにでもいそうだという思いがリアリティを帯びてきて、次の日から街が、あるいは未来が、地雷原のように見えてしまうという恐怖。



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*1: (3) 誰も信じなくてもひとりで生きていける俺最強! というのもありうるが。