トラバにお返事

似非科学を似非科学的に批判すること(モジモジ君の日記。みたいな。)に僕が付けたブクマコメントへのお返事がトラバで来ていたのでそれにお返事。

まず、僕のブクマコメント「人に対する信頼は科学的に判断されるものではないのだからその批判は当たらないのでは。また菊池氏の911陰謀論批判では不合理そのものよりもその背景にある偏見や無神経さが批判されている。」というのは、

ただし、「似非科学的な人が護憲を主張してるから、護憲の主張自体もうさんくさい」などという態度は、それ自体が似非科学的だろう。似非科学的な人でも、窓から身を投げれば落ちることくらいは認めてるだろう。だったら、万有引力の法則はうさんくさい、と言うのか。言うわけがないだろう*1。──これはむしろ、万有引力の法則は認めてもいいが、護憲は認めたくない、と言っているに等しい。似非科学的な上に、典型的な自己欺瞞なわけだ。
似非科学を似非科学的に批判すること(モジモジ君の日記。みたいな。)

このあたりへのコメントです。これがなんで似非科学自己欺瞞なのかさっぱりわからなかった。

まず、その人の主張する似非科学的な主張 A と別の主張 B が論理的に独立した主張であるなら、「A が偽だから B も偽だ」というのは論理的には正しくありません。

でもここで言う主張 B に対する「うさんくさい」という評価は真偽の問題ではありません。主張 B が「正しい」とか「間違ってる」などと言う人はいますが、それは必ずしも科学的に正しい/間違っている、とか、論理的に真だ/偽だ、とか言うことではありません。

主張 B の前提となる現実認識に事実誤認があったり、根拠から結論を導く論理に矛盾があったり、ということから科学的・論理的に間違いと言える場合もありますが、「主張 B = 護憲の主張」ということになれば、事は思想・信条の話です。

思想・信条から導かれる政策の是非については理屈の上では是々非々であるしかないわけですが、代議制による政治なり、思想団体による社会運動なりを通じて間接的に政治参加する限り、主張に対する評価はそれを主張する政党や団体の思想の背景にある世界観や価値観を受け入れられるか否かにかかってきます。

相手は支持者の言いなりになるわけじゃなくて自律的に動くわけですからどういう行動原理で動くかということを信頼できないと支持できません。それを脇に置いて純粋に主張だけを評価するというのは、学問的には意味があるかもしれませんが政治的には意味はありません。

さて、もう一方の主張 A は「似非科学的な主張」ですが、これも主張の真偽が問題にされているのではなく、そういう主張を受け入れてしまう人の態度や、仲間のそういう態度をスルーしてしまう態度、というような行動原理の脆弱さが問題にされているわけです。mojimoji さんが参照した陰謀論やニセ科学と市民運動について(Demilog) で demian さんが問題にしているのはそこですし、demian さんが参照した憲法9条と911陰謀論、または安斎先生はどう考えておられるのだろう(追記あり5/2)(kikulog) で菊池さんが問題にしているのもそこでしょう。

そんなわけで「似非科学的な人が護憲を主張してるから、護憲の主張自体もうさんくさい」というのは科学や論理とはまるで無関係な話なのであって、論理的矛盾を突いてどうこう批判できる話ではないのです。

以上を踏まえた上で。

護憲・改憲に対する態度を「人に対する信頼」で決める態度は、批判されてしかるべきでしょう。
似非科学を似非科学的に批判すること 【追記2】(モジモジ君の日記。みたいな。)

そんなことはないのです。第一に上で述べたように直接政治を動かせるだけの力のある人でもない限り、人に対する(というか人の行動原理に対する)信頼は政治的な態度決定において重要な要素です。純粋に主張を理詰めで検討して、現実的な時間内に態度を決定できる人は尊敬に値しますが、それをやらない/できない人を批判されてしかるべきとは思いませんし、そんなの批判しても政治的には何のメリットもない。

いや、やらない/できないだけなら mojimoji さんも批判はしないのか。

ついでに言えば、いちいち自分で調べてられないから、とりあえず前提にしてしまう、判断留保してしまう、ってやってることはいくらでもあるのであって、その意味では僕でも(誰でも)似非科学的なものに片足突っ込んでるはずだ。
似非科学を似非科学的に批判すること 【追記】(モジモジ君の日記。みたいな。)

でも、それを「似非科学的」と言うのはどうなのかな。そもそも似非科学疑似科学というのは科学を詐称して白黒つけないものに対して(嘘の)科学の権威でもって白黒付けるような主張を指すのだと理解しています。むしろ自己責任・自己決定での判断留保は似非科学的どころか単に合理的なのです。

もっともタチの悪い似非科学は、少なからぬ人をそういう合理的な判断留保に導くことで総すかんを食らって命脈を断たれるのを防ぎます。僕が以前歴史修正主義の手口についてで書いた「足止め効果」です。個人的な態度決定においてはこれは仕方がないと思います。運動に参加するとか公の場でものを言うとなると話は違ってきますが。

とりとめがなくなってきましたがこんなところでしょうか。

「本記事の中で、菊池氏に対する批判をしていません」に関しては、kikulog の呼びかけからの流れから「似非科学的な人が護憲を主張してるから、護憲の主張自体もうさんくさい」というふうに思う人がいるのであれば、菊池氏が批判するような「似非科学を支持 or スルーしながら護憲を主張する人」の行動原理を「うさんくさい」と評しているのだと思ってあのように書きました。