「ポリコレ疲れ」について

「「ポリコレ疲れ」が××を生んだ」的な話にエビデンスがないのは全くその通りなんだけど、それを言う人自身の「ポリコレ疲れ」という実感は存在するのだろうし、それが本当に「ポリコレ」のせいなのかというと疑問はあるのだろうけど、放置していれば自己成就的に社会に××が生まれてくることだってあるだろうとも思う。

正直僕自身も一時期「ポリコレ疲れ」でひどい鬱になって危ない状態になったりもしたんだけど。ただこれは僕個人の事情もあるし、おそらくは「ポリコレ」それ自体というよりは、ネット上でのポリティクスの表面化の仕方が極端であることが大きいかな、とも感じている。

特に Twitter とか Facebook とかで日常的に必ずしも共感できない他人の怒りに晒されるのって、普通に考えてストレスだよね。まだ本人の口から出た言葉だけならいいけれど、RT やら share やらで、本人ならおそらく口にしないような刺激的なメッセージが回ってくるし。

「いきすぎた◯◯」というのがその実「◯◯」を全否定するための言い訳に過ぎないことは多々あるけれど、ネットやメディアが善意にしろ悪意にしろ「いきすぎた」部分をクローズアップするように機能してしまってそういう印象を生み出しているという構図はあるし、印象だけでは済まなくて実際に人を傷つけることだってある。

一方で、さまざまな事情で自分が抱えている問題を声に出して訴えられない、あるいは声を出しても共感を得られない人たちは、大声を出して気持ちよくなっている人たちに対して妬ましさや疎ましさを感じずにはいられないし、政治的リソースをめぐるゼロサムゲームでの敗北に打ちひしがれるしかないだろう。

ここ 5, 6 年の間でネット上でのゆるい連帯感が、ネット上の騒動を通じて様々な政治的踏み絵を踏まされることでズタズタに引き裂かれてしまったように感じている。社会的にあらかじめ引き裂かれてきた人たちから見れば甘えに見えるかもしれないが、痛みに嘘はないのだから仕方がない。

そんなこんなでここ半年ほど政治的な話題からは距離をとるようにしている。一時期は忌避と言っていいほど距離をとっていたけれど、今は労働者の権利とかそういう個人的に身近な問題については言及したり宣伝したりしている。あと、消費税減税の件はもう投げ出そうかとも思ったけれど、せっかくもらった署名の重みでそうもいかなくて、続けています。

まあ、口は出さなくてもお金くらいはとは思っているし、今のところは実際少しは出してもいるけれど、財政状況もあまりよくないし今後はどうなるかわかりません。

(初出: facebook)