「ほめてごまかす」のではなくどうするべきだろう

「戦死者に感謝する」という態度は僕も聞くたびに違和感があった。自衛戦争ならわかるけど侵略戦争でそれを言うのが。いったい何に感謝しているのだろう? と。

感謝っていうのは相手が自分に幸せをもたらしてくれた、あるいは幸せをもたらそうと努力してくれたその気持ちに対して抱く感情だけど、侵略戦争が幸せをもたらしてくれました、というのは結果論としてはありうるのだけど、一方で他人に不幸を強いていることを考えると、素直に喜べないのが人情というものではないか。戦死者当人だって(仮に魂は不滅だとして)感謝されても素直に喜べるものではないと思うが。

よく、自分の不手際をフォローしてくれた相手に対して「ごめんなさい」よりも「ありがとう」と言うべきだとされるけど、この場合はむしろ「ごめんなさい」が適切なんだと思う。

こういう「ありがとう」の推奨は、困った時はお互い様だから互いに助け合おう、善意が連鎖する社会をつくろうというメッセージだけど、その意味で言うと戦死者への「ありがとう」は、いざとなれば僕らも同じように命を賭けて戦おうということだ。自衛戦争ならともかく侵略戦争でそれを言うのは侵略戦争を肯定することにほかならない。

ここはむしろ「ごめんなさい」と言って悪意の連鎖を断ち切ることを誓うべきなのだろう。その意味で、小泉前首相の「不戦の誓い」というのは正しい。誓いを現実のものにする努力が伴っていれば、だけど。しかしそれだけに「敬意と感謝」というのは矛盾しているようにも思えた。どちらかが嘘なのだろうか?

嘘というわけでもないと思う。戦死者に感謝する人たちも、その多くは積極的に侵略戦争を肯定しようとは思っていないだろう。それでもこの微妙な「ありがとう」に拘るのは「ごめんなさい」を言いたくないからじゃないかと思う。ごまかされているのはそこで、過ちを認めたくないから、忘れたいから、もう終わったことにしたいから、「ありがとう」でごまかすのだろう。