『VoCE』という雑誌については何も知らないのだが、この雑誌は「クオリア」という言葉が好きなそうな。「クオリア」というのは、私にとって、流行っているけれどよくわからない言葉の一つである。茂木健一郎さんとかが言っている言葉ですよね。「「萌え」って、クオリア体験なんでしょうか」ということなのだけれど、なんばさん*2、どうなんでしょうか。
クオリアとか斉藤清六とか(Living, Loving, Thinking)
どうといわれましても。。。クオリアってなんですか? クオリアと非クオリアの区別ってなんでしょう。適当にぐぐったら「固有の質的感覚を伴う意識状態」みたいな説明があったので、「萌え」が他の意識状態の言い換えや婉曲表現じゃないとする(固有性を認める)僕の立場からは萌えのクオリアはあるよってことでいいんでしょうか。でも読みかけで放置しているジョン.R.サール『マインド 心の哲学』*1 によると、
以前の章で述べたように、あらゆる意識状態はそれについての質的な感覚を備えている。意識状態はそのような意味で、つねに質的である。先に、この性質を記述するにあたって「クオリア」という用語を導入した哲学者たちがいることに触れたが、その用語は贔屓目に見てもまぎらわしいものだ。なぜならその用法は、ある意識状態は質的ではないことを示唆しているからだ。見たところその考えでは、痛みの感覚やアイスクリームの味わいのような意識状態は質的であり、幾何学の問題について考えるような意識状態は固有の質的感覚をもたないことになる。思うにこれは間違っている。
ジョン.R.サール 『マインド 心の哲学』 p179
とか言われてるので、クオリアだとかそうでないとか意味がなさそう。結局「萌え」の固有性みたいな話だけが大事でクオリア云々はどうでもいいことだと思いました。って言ってもサールの「中国語の部屋」問題の何が問題なのかさっぱり理解不能だったくらい哲学音痴な僕の言うことなのでデタラメかも。
うーん、適当に「あー、あの餌食べる時頭がばって開ける海の生き物?」とかボケときゃよかったかな。
*1:isbn:4255003254。訳は哲劇の中の人。