9月半ばから時間がとれると言ってましたが仕事終わらないので9月末まで無理です。。。
さて、金子洋一氏に投票した件(2) のコメントで「sadamasato さんのコメントにある論点の一部については後ほどエントリの追記の形でコメントさせていただきます」としていた件ですが、改めてこのエントリでコメントします。
私としては、リフレ派の政治家でも再分配機能の強化を訴えている人はいるとか、リフレ派でもほとんどの人間は人権意識が高いといったことを提示していただければ、「困った人間には退場して欲しいが、リフレ派は支持できる」と感じることができたのですが、一連のやり取りの中で逆に、リフレを唱える人間の人権意識は低いという印象が強まっただけでした。
とはいえ、同時にこういった状況の中で、rnaさん一人にリゴリスティックな倫理意識を求めるのは無茶な要求だということもよくわかりました。「リフレのために、左派が最低限納得できるような人権意識や歴史認識を持とう」と呼びかけるようなことは、左派が自分の理念を捨てることよりも困難みたいですから。
id:sadamasato さんのコメント - 金子洋一氏に投票した件(2) - 児童小銃 (強調は引用者による)
これなんですが、たとえば僕らが歴史修正主義的だと思うような歴史認識を持つ人に対して「正しい歴史認識を持とう、歴史修正主義はやめよう」と、ただそれだけ訴えることにはあまり意味はありませんよね。
なぜなら、その人は世間で「正しい歴史認識」とされているものがどういうものか知った上で(というか知ったつもりで)「その歴史認識は間違っている」「世間が歴史修正主義と呼ぶような歴史認識こそが正しい歴史認識である」と信じているわけですから。
そんな人に本当に正しい歴史認識を持って欲しいと思ったら、歴史認識の内実にまで踏み込んでその正否を議論しなくてはならないでしょう。それこそ南京事件について Apeman さんがやっているようなことです。
しかし、それをやるには単に「正しい歴史認識を持っている」というだけではだめです。正しい歴史認識の元となる様々な史実についての知識が必要になりますし、歴史修正主義に見られるような詭弁のパターンも熟知していなくてはなりません。
そしてなにより、公の場でそれをやるならばネット右翼みたいな人たちとの泥沼のバトルに巻き込まれることも覚悟する必要がありますし、友人を説得する場合なら友達をなくす覚悟すら必要です。
僕が以前書いた記事「歴史修正主義の手口について」のターゲットは、歴史修正主義の罠にかかって「正しい歴史認識」に疑問を抱かされたまま態度保留に至った「足止め」された人たちでした。「足止め」からさらに一歩踏み出してしまった人たちに対してあの記事が通用するのかというと、正直疑問です。
そうだとしても、政治家や政治評論家のような幅広い政治課題に対して世論を代表したり代弁したりする立場の人たち*1に、歴史修正主義的態度や歴史認識に対する曖昧な態度を批判するのは意味のあることだと思います。なぜなら、その人たちの歴史認識は私たちを代表していないということを表明することになるからです。
しかし、単に特定の政策を支持するという形で政治に関わっている人に対してむやみに歴史認識についてカミングアウトを迫るようなことはするべきではないと思いますし、僕はしたくありません。
僕みたいに特定の政治家への支持*2をはっきり表明してしまった人には一定の説明責任はあると思いますし、そう思うのでこれまでいくつかのエントリを書いてきたのですが、こういう態度が一般的に当然と思われても困るなというのが正直なところです。