すばらしきゼロサム社会

みんなが「俺の取り分はもっと大きいはずだ、もっとよこせ」「お前の取り分は大きすぎる、それを減らしてこちらによこせ」と、そう叫ぶ。強き者も、弱き者も。当然の権利? そうなのかもしれない。しかし…

明日死ぬ人を別にすれば、僕らの富は今目の前にあるものだけじゃない。僕らの努力次第で、それは明日には今日よりも豊かになるはずのもの。見逃されていたものを見つけたり、手の届かないところにあるものに手が届くようになったり、もっともったいなくない使い方を見つけたり。

だから他人から奪う必要なんかない。そのはずだった。

それがいつのまにか変わってしまった。誰も明日に希望なんて見いだせなくなったのか。

ひとたび奪い合いが始まるとルールが変わる。

努力する人は愛される、それは変わらない。でも、努力の意味は変わる。努力とは、成長の芽をねばり強く育てることではなく、巧みに他人から奪うために知恵を働かせることなのだと。

種をまき芽生えを待つ者はうすのろと嗤われる。自分が努力すればするほど他人の首が絞まるのかと思うと力が萎える者は弱虫と蔑まれる。人は奪う者を誉め称える。戦う者、リスクに立ち向かう者、勇気ある者と誉め称える。刃が自分に向けられるまでは。