なぜオタ問答

この件。ブクマでいまいち的確に反応できなかったので改めて。基本的に「見返りのない贈与にどんな意味があるのか」という問題だと思う。

死んでからも愛されたい

生命保険に限らず、自分が死んだ後に大事な人に何かを残そうとする*1のは、自分の死後も残された人の心の中で自分が尊重されて欲しい、ということなのではないか。

そういう発想ができるのは実際に自分が死んだ人に感謝したり尊敬したりできるからだと思うけれど、死後であろうとなかろうと、尊敬されると嬉しいという感情*2は、平たく言えば他人の心の中の自分を想像してニヤニヤしてしまう気持ちなわけで、自分が死んだ後も残った人の心の中に自分の姿があるなら、それを想像してニヤニヤするのはさほど不思議なことではない。

いや、そのニヤニヤは自分を尊敬してくれる人からのレスポンスを期待してニヤニヤしているのであって自分の死後はレスポンスが受け取れないのでやはりおかしい、という反論があるかもしれない。そうかもしれないけど、個人的な経験からは確かにレスポンスがないと凹むけれど、レスポンスが期待できない場合でもニヤニヤできるので、それぞれ別の感情なんじゃないかと思う。

ていうか、アイドルにプレゼント贈る時って、そんな感じじゃない? それはキモいのではないかという反省があるのかもしれないけど。

責任を果たす俺カッコイイ

死んだ後のことは死んだ当人には責任はないのだが、生きているうちに打てる手があり、手がある事を知っていて、それでもなお手を打たない、という不作為には責任がある、と感じられることは多いのではないか。

K2Daさんの設問では「生命保険に入ったことは誰にも言わない」という条件がついているので、そのことについて生きているうちから他人に責められることはないわけだけど、自分で責任を感じてしまうことはある。

それはそれで不合理な感情なのかもしれないが、そういう感情がある場合、生命保険に入ることで、死んでも他人にかかる迷惑が最小限であると思え、安心してリスクに立ち向かえるとしたら、生命保険に入ることは意味がある。

*1:ここでは生前に何を残すか開示してそれをカードにして生きているうちに利益を引き出すという使い方は想定しない。

*2:ブクマでは名誉感情と書いたけど、これは主観的な自己評価のことを指す言葉らしく、客観的な社会的評価ではないらしいので撤回。