自由とリスクとベネフィット

リスクのほうはわかるんだけど、ベネフィットの理屈がわからんのよ。 純粋に「蒟蒻畑が好き」っていう人もいるわけだよね。ゼリーより固くて、グミより柔らかい、あの食感は独特だから。ベネフィットの第一は「好き」だと思うのですよ。「好き」というベネフィットをことさらに低く評価する理由はないのではないかなあ。好き嫌いというのは、大きな動機だから。
PSJ渋谷研究所X: こんにゃくゼリーは本当に危険か:受益と危険の不均衡【追記あり】 コメント欄

亀@渋研Xさんの「リスクとベネフィットの対比で考えなきゃ」「(こんにゃく菓子は)ベネフィットがかなり小さそう」という論点について、きくちさんは「「好き」という利益の見積もりが低すぎると思う」と疑問を投げかけています。

自由主義の立場から見るとベネフィット/リスク比が低いから規制していい、というのは危ういと思います。そもそも他人が想定するベネフィットはせいぜい大勢の人たちの平均値でしかないのに対して、自由主義は個人個人が自己責任で幸福を追求する権利があるというのが原則です。日本国憲法13条とか。幸せの意味は心の数だけある*1のだからそうでないと誰かが抑圧される、と考えるわけです。

むしろベネフィットについては、リスクが絶対的に大きく放置はできないという場面において過剰規制にブレーキをかける方向で考慮すべき事柄だと思います。つまり、リスクは大きいがベネフィットの総和も大きく社会的な影響が大きいから単純に規制するのはいかがなものか…というふうに。

また、個人個人がリスクとベネフィットを考慮して選択するチャンスのあるような物については、実はリスクの絶対的な大きさもあまり関係ないんじゃないかとも思います。というのは、明らかに危ないものは普通はみんな避けるわけで、逆に危なくないわけです。本当に危ないのは、どれだけリスクがあるかわかりにくい物ではないでしょうか。リスクが周知されていないもの、目先のベネフィットが大きい(あるいは目先のダメージが小さい)ためにリスクの過小評価を招くようなもの、というのが該当します。

こんにゃく菓子*2についてはリスクは比較的小さいと思われますが、現状は「どれだけリスクがあるかわかりにくい物」に該当するのだと思います。今回の事故もわかっていれば絶対起こらない類のものです。なので、第一にリスクがわかりやすくなるように努力する、どうやってもわかりにくいようであればわからなくても危険でないようにする(販売禁止というのもその一つ)という方向で考えるべきです。

蒟蒻畑の製造停止は残念ですが、そうすることでニュースになりこんにゃく菓子のリスクが周知のものになるなら、悪い話ではないかもしれません。いずれ条件が整って製造再開するなら、ですが。


*1:Rurutia 『ロスト バタフライ』

*2:ゼリーと称するのがよくないという意見があり、なるほどと思ったのでこのように呼びます