読了。どういう本かというのは著者のあとがきの文章にまとまっています。
筆者が、本書を書くきっかけとなったのは、今回の日本のおけるデフレーションを巡る経済論争*1が、約七〇年前に起こった昭和恐慌期に闘わされたそれと全く同じレベルの議論であったことに気づき、ある種の脱力感に苛まれたことであった(これについては、拙著『平成大停滞と昭和恐慌』一〇九‐一一二頁にテーマごとに分類して掲載してある)。この七〇年の間、科学技術は目覚しい発展を遂げ、我々の生活は飛躍的に豊かになったが、我々の経済に対する考え方は全く進歩がなかったのである。筆者は、デフレーションを克服するためには、大胆なリフレーション政策が実施される必要があると考えてきたが、今回の論争では、日本で、リフレーション政策に対して反対の立場をとる経済学者がほとんどであった(不思議なことに、欧米では、リフレーション政策に反対の立場に立つ経済学者は学派に拘らずほとんど皆無といってよかった)。これは、七十年前の政策論争と全く同様であった。当時も金融政策を中心とするリフレーション政策の必要性を訴えた石橋湛山、高橋亀吉、小汀利得、山崎靖純ら「新平価四人組」の主張はことごとく退けられ、その結果、昭和恐慌は深刻化し、庶民の生活は困窮、その不満がやがて軍部による大陸進出の思想的な足がかりを作った。昭和恐慌は、高橋是清によるリフレーション政策(高橋財政)の実現によって最終的に克服されたが、荒廃した日本国民の思想までも癒すことはできなかった。「我々は今回もこの教訓を生かすことができないのであろうか」と日本の経済論壇に対して悲観的になったのをきっかけに、筆者個人の関心は、「何故、正しい政策が採用されないのか」という点、いいかえれば、経済失政のプロセスと為政者の経済思想的な背景を理解し、それをどのように改善していくかを考察しなければならないのではないか、という点に移っていった。
そこで、日本における経済思想の流れを、通常の経済思想史の手法とは逆に、現代から明治維新期まで遡ってみると、経済失政をもたらす思想的な背景として、江戸時代の朱子学的な思想、特に、金融を「虚業」として軽視する考え方が、明治時代の為政者の中に脈々と受け継がれていることがわかった。この「金融軽視」の考えが、通貨システムに対する無理解に形を変えて、日本を度々デフレーションに陥れていること、そして、幕末の攘夷思想のトラウマともいえる「アジア主義」がこの通貨システムの無理解と融合することによって、円高信仰が生まれたというのが、日本の経済学における「敗戦」に他ならなかったのではないだろうか。
それでは、戦後の日本はこのような「誤った経済思想」を克服したのであろうか。残念ながら、今回のデフレーションにおける経済論争をみると、そうではなかったと考えざるを得ない。エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の出版(一九七九年)は、日本が高度経済成長を経て世界有数の経済大国の地位に上りつめたことを象徴する現象であり、一九八〇年代後半以降、日本は、軍事力ではなく、「ジャパンマネー」という経済力によって、覇権を獲得しようとしたはずであった。しかし、通貨システムに対する無理解は、今度は、日本経済を無節操な「バブルエコノミー」に巻き込み、結局、バブルの崩壊から七〇年前のデフレーションという経済学上の「伝説の」(世界大恐慌以来、忘れ去られてきたという意味で)怪物を墓場から呼び戻したのである。その意味では、本書の冒頭で言及した「近代すら超克していない」という表現は必ずしも正しい表現ではなく、むしろ、「近世すら超克していない」ということなのかもしれない。
安達誠司『脱デフレの歴史分析 「政策レジーム」転換でたどる近代日本』 p307-309
本書の最後では自民党政調会の「名目4%ターゲット論」に期待を寄せていますが、それが2006年の春のこと。結局リフレ政策は実現せず、一方で経済政策の点でリフレ派には評判の悪かった民主党に政権交代し、八方ふさがりかと思いきや、最近にわかに反デフレ論争が盛り上がり中。今度こそ「近世の超克」を達成してほしいものです。
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