児童ポルノ禁制品論

小林節氏が児童ポルノ禁制品論なるものを主張しているとか。

児童ポルノの単純所持を処罰すべきという主旨だが、それ以前に小林氏の児ポ法の理解に欠陥があるのでは?

まず「青少年に対する性交等を処罰するものである」というのは間違い。買春やポルノ製造などを処罰するものであって「性交等」そのものを処罰するものではない。一般向けにやさしく言い換えたつもりなのかもしれないが、性交を同意する能力と買春に応じたりポルノ出演に同意する能力は違うというのは児ポ法の本質に関わる問題であり、その区別をぼかしてしまうのはミスリーディングではないか。

 成人を対象とするポルノ(で、わいせつの基準=限界に触れていないもの)を製造し、それを成人に流通させることは、憲法上、表現の自由として保障されており、その限りで成人のポルノは禁制品ではないし、それはそれで良い。しかし、児童ポルノは、その本質に照らして、そもそもこの世に存在してはならない、そういう意味において、紛れもなく「禁制品」ではなかろうか。

 例えば、たばこは、さまざまに有害ではあるが、使用方法を厳格に管理する限り、利用者にとってはそれなりの(例えば精神安定などの)利益があり、その存在は社会に許容されている。しかし、麻薬は、(医師により薬として使用される場合は別として)本質的に反社会的なもので禁制品とされている。

これもあやしい。児ポ法の保護法益は被害児童の人権であり、まず児童ポルノの製造はそれ自体が被写体の児童に対する人権侵害(性的搾取・性的虐待)であると見なされるから禁止されるのであって、児童ポルノの存在が社会に悪影響を与えるからという考え方ではない。麻薬が禁止されるのとはわけが違う。

児童ポルノの流通自体が禁止されるのもその延長線上で、流通した自分の姿態が誰かの目に触れるという状況が被害児童に苦痛を与えると考えられるから。児童ポルノの単純所持を処罰するとしたら「禁制品」という考え方ではなく、流通してなくても誰かがそれを持っていて見続けているという事実が被害児童にどれほど苦痛を与えうるか、という観点で議論すべきではないか。



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*1:via: [id:okumuraosaka:20050424:1114294244]。奥村弁護士的には「禁制品論は一理ある」とのこと。