現実主義という理想主義。あるいは裏中二病。

[id:rir6:20050502:1114974181] を読んで。

最近は「現実主義」を唱えて理想主義を小馬鹿にするのが背伸びのトレンドじゃないかと思ったり。現実が見えてる俺カッコイイみたいな。あるいは社会環境が酷薄になってくるにつれて、実際に理想主義を口にする人は頭の中がお花畑な人ばっかりってことになりがちであるが故に、馬鹿と一緒にされたくないあまり現実主義を唱えるとか。

でも理想が一掃された現実なんてものは未だかつて到来したことはないわけで、理想主義の排斥という形の現実主義こそ非現実的な理想主義の一形態じゃないのかと。実際のところ理想というかある種のフィクションなしに社会が回るのかというと無理なんじゃないかな。

ただ、フィクションをフィクションとわかっていて敢えて受け入れるのではなく、フィクションを現実と勘違いして(ネタをベタに受け取って)しまうと、世の中こうなってほしい、じゃなくて、こうなってないとおかしい、本来こうならなきゃいけないはずだ、みたいになって、理想主義というよりは間違った事実認識に基づいた現実主義(仮想現実主義?)のようなものになってしまう。

どうしたいか、どうすればできるか、両方あっての現実主義。「現実」に打ちのめされて理想を忘れてしまってはダメ。生きてりゃ十分、なんて本気で思っているのか? 忘れてしまえば「次善の」手すら見えなくなってしまうし、いずれにせよ僕らは何かを選択して一歩進むしかない。一歩進めば状況も変わるし違った現実が見えてくる。その時何を拠り所に選択するのか。現実なら最初から見えてる? 全ては予定調和? 人生ゲームは終局まで読み切った? エスパーおめ、と言っておこう。

と、安っぽい歌謡曲みたいに締めてみる。でも意外と真実はそういうところにある気がする。だからブルーハーツが好き。