高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』

富田メモ問題の時にうっかり買ってしまった本で、先日のエントリでもとりあげた本ですが、通勤中とかにちまちま読んでいってやっと読了しました。なかなか面白かったです。資料的にも有用ですし、ネタ的にも面白い。

残念ながらこの本、絶版になっているようで、僕もアマゾンマーケットプレイスで古本を入手しました。復刊ドットコムでリクエストしてる人がいますので、興味ある方は乗ってみてくだい。

以下、興味深かったところなど。

政治的な質問に対する態度

天皇陛下は政治の話には触れない、周囲も気を遣ってそういう話には触れない、というイメージがありましたが、以外とそうでもなくて、記者もけっこうきわどいところまで突っ込んでくる事があるし、そういう時は陛下は政治的な問題でありコメントできない旨はっきり答えます。その際、言えないけど思うところはあるのだという応答になることも。

記者 各地で起きている学園紛争について。
天皇 困ったことだと思っているが、政治的・社会的問題なので、立場上、意見がいえないのを残念に思う。
昭和43年8月19日 那須御用邸・参殿者休所 での会見記録。高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』p135 より。

とはいえ、昭和29年の記者会見では朝日の記者が「自衛隊が捧げ銃をして並んだり、急にラッパを吹いたりしたので、びっくりされたでしょう」などと質問したところ、陛下が「えー、えー」と繰り返し、言葉につまってしまい、三谷侍従長が割って入り会見打ち切りになったことも。

昭和53年には、当時の宮内庁長官・宇佐美毅が、ここ数年政治的な質問や陛下を歴史の証人とするような質問が多いという理由で喜寿の祝賀会見を拒否。「私の目の黒いうちは、天皇会見は絶対にさせません」と言明。しかし、宇佐美長官はその直後に引退。そして富田長官(例の富田メモの人)就任後「会見拒否は陛下や宮内庁の正式見解ではない」として会見が復活したのでした。

退位について(宮台真司不敬なりw)

宮台真司天皇の退位について、憲法皇室典範に退位の規定がないからといって退位できないわけではない、規定がないということはやればやれるということ、というような主張をあちこちでしています。

世の中には憲法皇室典範に退位や離婚の規定がないことをもって退位や離婚ができないとする田吾作が溢れますが、法律というものへの無知を晒します。規定がないならば自ら退位するとか離婚するとか宣言すれば、それで終わり。現に退位や離婚を宣言されないという事実行為が地位を支えます。
評論インタビュー:アレクサンドル・ソクーロフ監督『太陽』(2004)

それはそうなんだと思いますが、退位は憲法が認めていないというのは昭和天皇ご自身の認識でもありました。

記者 陛下が五十年の長きにわたって在位されたことから、多くの人々が重荷を皇太子殿下に負っていただいたらいかがかと進言するのもわかる気がします。陛下のご退位についての見解を伺いたい。
天皇 退位については、憲法その他の法律が認めていない。それについて考えたことがありません。
昭和50年9月22日 宮殿・石橋の間 での会見記録。高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』p215 より。

もう一度宮台氏の言葉を。

世の中には憲法皇室典範に退位や離婚の規定がないことをもって退位や離婚ができないとする田吾作が溢れますが、法律というものへの無知を晒します。

あわわわわ、へ、へ、陛下を田吾作呼ばわり! 無知呼ばわり!!!

富田メモに関連して

本書はサブタイトルに「記者会見全記録と人間天皇の軌跡」とありますが、1988年3月の出版なので富田メモで問題になった最後の誕生日会見の記録は載っていません*1。もっとも、その前年の会見までは載っていて、富田メモの解読の参考になる部分もあります。

富田メモ非公開部分に「昨年は」「メモで返答したのでごつごつしていたと思う」という一節がありましたが、その会見記録(1987年4月21日会見。本書p380-387)の補注に「この会見では、天皇は事前に提出した質問事項に対し、メモを見ながら回答した。前回まではフリーハンドの応答であった」とありました。

「4.29に吐瀉したが」も本書の本文(p308)で1987年の誕生日に宮殿・豊明殿の祝宴で嘔吐した件が紹介されていました。

『文芸春秋』9月号の記事で半藤氏が触れた「関連質問」という宮内記者会の用語についても、本書に宮内記者であった著者による説明がありました。会見での質問は事前に宮内庁に提出するわけですが、会見当日は台本通りとは限らないそうで、

質問項目は六、七点。宮内庁が嫌がるのは、事前の打ち合わせのない一問ごとの「関連質問」だ。たとえば在位五十年の時、「マ元帥の思い出」は事前に出されていたが、「回想記は読んだか」「内容に間違いはないか」とタタみかけるのが関連質問である。

ということです。

昭和天皇の口調については、全般的に常体と敬体が混じりがちでした。昭和50年代あたりから基本は「ですます」になるのですが、リラックスした状況での会見では常体が基本で時折「ですます」が混じる感じでした。

本書の記録自体の正確さについては、初期の会見では記者がメモをとることができず、各社の記者が自分の質問とその応答を記憶しておいてあとでつなぎ合わせて会見録にしたそうで、やや問題があります。「最近ではテープレコーダーで記録するようになった」とのことなので最近の分は大丈夫なのでしょうが、最近というのがいつからかはっきりしません。なお、本書の会見記録は記者の質問部分は簡略化されていますが、陛下の応答はほぼ全記録であるとのことです。

*1:ちなみに最後の会見は88年9月2日。