情報暴露は言論ではないけれど、

私は、言論の自由にほぼ無制限の優先度を置いているが、言論の封殺を目的としたプライベートな情報の暴露には断固反対だ。しかし、情報暴露の為に書く内容は、多くの場合、論敵に届くことを目的としてないのだから、これは「言論」ではないと思う。
人はネットの言葉から受ける影響を自己管理できるか?(アンカテ)

しかし言論を流せるところには情報暴露も流すことができる。どちらも同じ「言葉」だから。というか、情報暴露は言葉だけが武器の言論の場で唯一使える本物の凶器なので、むしろ濫用されがち。*1

特にネットのような言葉だけ*2の世界で、根本的には避けられない問題なのかもしれないけど、それでも、同じネットでも凶器を出すのが躊躇われるような場と、平気で凶器を振り回せる場という違いは、現にあると思う。



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*1:尋常でないスルー力を誇る粘着論者を黙らせるための最終兵器でもある。

*2:映像だって音声だってあるけれど、それも「書き言葉」に近い性質を持つ形でしかやりとりできない、という意味で、そういう情報全般を「言葉」に代表させている。