そうだそうだ韓リフ先生をDISっとかなきゃ…!

正月に読んだ田中秀臣(id:tanakahidetomi)『経済政策を歴史に学ぶ』ですが、例の「博士が100人いるむら」をベタに引き合いに出していて、あとでDISっとこうと思ってたけど忘れてた。これこれ。

最近、その中でも注目を集めた「博士が100人いるむら」(http://www.geocities.jp/dondokodon41412002)は、その衝撃度で群を抜いている。毎年100人の博士が生まれたとして、そのうち16人が医者、14人が大学の先生や助手、ポスドク(博士課程履修を終えたが大学に在籍)が20人、8人が会社員、11人が公務員、7人が他分野への転出、16人が無職、そして8人が行方不明ないし死亡である。無職や死亡・行方不明の多さは深刻なものである。このパロディは専門家の卵の大半が、その長期に及ぶ専門的訓練を実にすることなく、いたずらに人生時間を浪費していることを指摘していて辛らつなものがある。文部科学省が毎年公表する『学校基本調査』でもほぼこの比率は即していて、単なる寓話とは言えない。
田中秀臣『経済政策を歴史に学ぶ』p60

こういうことですよね。

結構ブックマークされてたんだけどなぁ。。。*1

学校基本調査に「死亡または行方不明」という項目はありません。比率から言ってこれに対応するのは「死亡・不詳の者」という項目ですが、随分ニュアンスが違うものです。あらためて資料を漁ってみました。

死亡・不詳の者 死亡・不詳の者の数を記入する。死亡とは,卒業者のうち平成18年5月1日までに死亡した者をいう。また,不詳とは,上記の各欄のいずれに該当するか学校で把握していない者をいう。
平成18年度学校基本調査 調査票様式 (高等教育機関向け) (文部科学省)

Q :「卒業後の状況調査票( 2 − 1)」について、卒業後の進路を把握できていない者がいます。どこに計上したらいいですか?
A :「死亡・不詳の者」に入力します。ただし、具体的な進路が不明であっても、「A大学院研究科」〜「一時的な仕事に就いた者」の何れにも当てはまらないことが明らかな者は「左記以外の者」に計上します。
学校基本調査(高等教育機関)Q&A (文部科学省生涯学習政策局調査企画課)

死亡は死亡ですが、不詳の者は実際に調査している学校が把握していないという意味で、行方不明とイコールかどうかはかなり怪しいです。3月に卒業した人の状況を5月中までに調査して提出するので単純に把握できてないケースも含まれるでしょう。それに「左記以外」に入れる要件が「何れにも当てはまらないことが明らか」という厳しいものなので、よくわからない場合は「不詳の者」にカウントされがちかも。

「博士が100人いるむら」の「死亡または行方不明」の説明は自殺や行き倒れを強く示唆する内容で、8人のうち4人は自殺している(さらに一人は自殺しそうになっている)絵になっていますが、自殺率を考えるとほとんどあり得ない話だということは以前の記事に書きました。

行方不明については家出人の捜索願いの状況くらいしか手がかりを見つけられませんでしたが、年間10万人近い家出人のうち6割は1ヶ月以内に生きて帰っています(参照: 平成16年中における家出の概要資料)。当時、大卒以上で合計27000人程度いた「死亡・不詳」が主に行方不明だとするのも、やはり無理があると思います。

また、この件について調べていて見た限り、公的な資料の中に「死亡・不詳」の率を問題視するような記述は一つも見つけられませんでした。もし「死亡・不詳」の内実が深刻なものであると裏付けるような資料がありましたら教えて頂けると幸いです。

そんなわけで「博士が100人いるむら」はネタとしてはよくできてるけれど、なんの注釈もなく真面目にとりあげるようなものではないかと思います。というか鬱っぽい院生やらポスドクの人が無闇に落ち込みかねないから煽らないで欲しいな。。。

2/15 追記:

コメント欄とトラバで激しい反応がありましたが。。。

引用部分やその前後で田中氏が言いたかったのは「その長期に及ぶ専門的訓練を実にすることなく、いたずらに人生時間を浪費している」というあたりであるというのは了解していますし、僕も就職状況の部分はマジだと言ってました

しかし、「博士が100人いるむら」のオチにあたる部分は「死亡または行方不明」で、あれを読んだ人はそこに一番衝撃を受けているのは間違いありません。田中さんの本を見てあのサイトにアクセスする人もそこが一番印象に残ることでしょう。そこが嘘っぽいというところをスルーして、あるいは無批判に引き合いに出すのはデマを広めるようなものだし、嘘じゃないという根拠を得た上で引き合いに出されたのなら、その根拠を公開していただきたいとも思いました(本文にそれらしき記述はなかったので)。

人質論法などとおっしゃいますが、「真贋以前に弱者を傷つけるがゆえに誤り」なんて論法はとってません。この件を最初に指摘した時から一貫して真贋を問題にしてきました。文末に「というか」で付けたつぶやきみたいな一文を「がゆえに誤り」という論法だと思うのは日本語理解としてはどうなんでしょうか。

元の検証記事は、むしろ「博士が100人いるむら」を引き合いに出して「オレ達こんな悲惨なんだ」みたいなことを言う人をちらほら見かけたので、学者目指すんならしっかりしろよ、という意味合いを込めて書きました。


*1:ここのブログそんなにマイナーですか、そうですかw