上野千鶴子氏の東大入学式での祝辞の問題点について (2021/4/22追記あり)

二年前に話題になった上野千鶴子氏の東大入学式での祝辞を読み直す機会があり、今更ながらちょっとびっくりするようなことに気が付きました。初見ではスルーしていたのですが、よく見ると祝辞前半の理屈が全然通っていないのではないか?ということです。

祝辞の前半というのは東大理3の合格率の男女差について述べた以下の部分です。

ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

上野氏の前半の理屈は一部混乱があるように思えますが以下のように整理できます。

A. 東大受験の女子の合格率は男子より低い(事実)*1
B. 東大を受験する女子が少ない(事実)
C. 社会には女性差別があり女子の受験が阻まれる(事実)
D. B の理由は C であろう(妥当な推論)
E. よって A の理由は C であろう(???)

よくわからないのは E です。単に A, B, C, D を列挙しただけなら論理的には問題ないのですが*2 A を述べた後「この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。」「なんらかの説明が要ることを意味します」とした後「まず第1に」「第2に」「第3に」と B〜D を主張しているので、B〜D は A が何故なのかを「読み解き」「説明」しており、前半の議論の全体としては E を主張していると解釈するのが自然です。*3

ところが、A は 女子の東大合格率 = 女子の東大合格者数 / 女子の東大受験者数 が男子より低いという主張なのに、B〜D はその分母である「女子の東大受験者数」が少ないという主張しかしておらず、「女子の東大受験者数」が減った割合以上に「女子の東大合格者数」が減る(そうでないと合格率は減りません)理由を全く述べておらず、A の理由の論証として成り立っていないのです。

一方で、上野氏は「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」と主張しています。「女子の東大受験者数」が減る際に成績の低い人から東大受験を諦めるので、残った人は成績優秀な上澄みになるからです(以下これを「上澄み効果」と呼びます)。これは妥当な推論だと思います。

しかし、それならば女子の東大合格率は男子より高くならないと辻褄が合いません。辻褄を合わせるには女子が高校での成績が優秀であるにも関わらず受験本番で成績が下がる理由が必要です。ですがそれについて上野氏は何も述べていません。

「意欲の冷却効果」がその理由として提示されているという解釈は可能でしょうか?「意欲の冷却効果」は「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」という社会の扱いが女子の勉強あるいは受験の意欲を削ぐという話です。

しかし、勉強の意欲が削がれているのなら女子一般の成績は男子一般より落ちるはずです。上野氏は女子受験生の方が男子受験生の方が成績が良いと言っているので、単純に見るとこれは矛盾です。ここは受験の意欲が削がれて受験を諦めた女子が多い中、敢えて受験を決意した女子は優秀な人が多い、と解釈するしかないと思います。

だとすると、結局これは「上澄み効果」の傍証を追加しただけということになり、「上澄み効果」があるにも関わらず女子の東大合格率が下がる理由については何も言っていません。

一体これは何なのでしょう?一つの解釈は、

1. 上野氏は「女子の東大受験者数」が減れば「女子の東大合格率」が下がると勘違いして、E を論証できたと思い込んでいる。

というもの。もう一つの解釈は、

2. E を論証するという素振りはフェイクで、実は「女子の東大合格率」が下がる理由は存在しないことを強調することで東大理3受験には女性差別的な不正があることを仄めかしている。

というものです。あるいは、

3. A の理由を説明する全く別の説明を用意していたが、当日話すのを忘れた。

という解釈もありうるでしょうか?

1 は上野氏の知的能力を疑っているという意味で失礼な解釈ですが、2 は上野氏に悪意があると見做しているのでこれもまた失礼な解釈ではあります。3 は 1 に似ていますが知的能力というよりは認知能力を疑っておりさらに失礼ですね… しかし、上野氏に間違いも悪意も存在しないという解釈はちょっと思い付きません。

もっとも 2 の解釈には問題があります。上野氏の祝辞は全体として東大の教育体制を肯定しているからです。祝辞の後半では「東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です」「れから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います」などと言って「ようこそ、東京大学へ」という歓迎の言葉で締めているのですから。

これを文字通りに取れば、上野氏は祝辞の前半で E が論証できたと思っている、すなわち合格率が低いのは入試以前の社会の女性差別のせいで入試に不正があったせいではないと思っていることになります。入試に不正があったと思っているならこうはならないでしょう。よって解釈 1 が正解であると。

しかし上野氏ほど知的能力の高い人が一世一代の大事なスピーチで 1 のような勘違いができるものでしょうか?そんなはずはない、とするならば、東大肯定のこの部分を文字通りに受け取ることは不可能になります。その場合、東大肯定部分は言外に「(但し医学部を除く)」という含みのあるものと解釈せざるをえません。

これはやや無理のある解釈ではありますが、上野氏は「社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです」と言っており*4 東大の何もかもを肯定しているわけではないので、そういう解釈もありえなくはない、とは言えるでしょう。

また、3 の解釈にも無理があります。この祝辞は東大の公式サイトに掲載された際に「一部事実と異なる表記」を修正しています。3 の解釈が正解ならこの時に話し忘れた部分を加筆するのが自然ではないでしょうか。

今の今まで話し忘れたこと自体気付いてないという可能性もゼロではないですが、そもそも行間からも読み取れない主張を存在するものとして解釈する、しかもそれがどんな主張か全く不明、というのでは文章の解釈とは言えません。文章の解釈とは別次元の擁護論と言わざるを得ないでしょう。

ということで、僕自身は 1 の解釈を取っています。上野氏だって人の子で勘違いはするだろう、と思っているからです。でも上野氏の知的能力を信頼する人ほど 2 の解釈に流れるということはあると思いますし、その解釈を完全に否定することは困難だと思っています。

「ハンロンの剃刀」(無能で十分説明されることに悪意を見出すな)というベストプラクティスに反するとは言えますが、「ハンロンの剃刀」が常に正しいというわけでもないのですから。

なお、僕はこの祝辞は全体としては良いことを言っていると今でも思っています。上野氏は、才能や環境に恵まれ受験競争を勝ち抜いた新入生たちに対して女性差別を例に挙げ「がんばっても報われない社会」の存在を示し、その一方でフェミニストや東大そのものなど限られた範囲ではあれ「がんばったら報われる」環境を作ってきた人に思いを馳せ、そのように生きなさいと言っているのです。

ただ、最初にこれを読んだ時は不正入試を「がんばっても報われない社会」の例として示していて、理3の合格率男女比 1.03 も不正の仄めかしだと思っていました。女子が社会の女性差別の結果、浪人を過剰に避けたり進学を諦めたりするのもまた「がんばっても報われない社会」の独立した例示だと思っていたからです。

でも、今回祝辞を読み直して、どうも理3の合格率問題は不正ではなく社会の女性差別の帰結だと主張しているらしいことに気付いて戸惑った、というわけです。

祝辞の骨子としては依拠する例示が一つ減っただけで、何ら破綻があるわけではありません。しかし、理3の合格率問題を、これは不正なのか?と問いかけつつ、いや不正ではない、という論証に失敗しているというのは、じゃあ不正なのか?という疑問を残してしまうことになります。

実際のところ 1.03 という合格率男女比の偏りは統計的誤差の範囲と解釈可能で、理3の入試に不正はなかった、よって上野氏の祝辞の骨子は揺らがない、と言えると思いますが、1.03 が社会の女性差別の反映であるという主張自体は誤りで、そのことは上野氏の失点と言わざるを得ません。上野氏自身が「統計は大事です」などと言っているのですからなおさらです。

以上、この件については Twitter でもたくさんつぶやきましたが、話が結構ややこしい上、僕自身も頭を整理しきらないままつぶやき散らかしたせいで僕が何を言いたいのかわかりづらいところがあったと思い、改めて論旨を整理してまとめました。

追記(2021/4/22): 「1.03 という合格率男女比の偏りは統計的誤差の範囲と解釈可能」と書きましたが、そうとも言い切れない事に気が付きました。

一見してばらつきの範囲内に見えるのと、「東大理IIIは本当に男子の合格率が高いのか?」で有意差なしとの計算があったのでそう思っていたのですが、そもそもこれは「男女の合格率に差はない」という帰無仮説に対するものです。

しかし上野氏は女子の受験生の方が成績が良いはずだと主張しているので、本来は女子の方が合格率が高いはずなのです。そして男女の成績の差がどれだけあるかわからないのでどれだけなら有意差ありと言えるのかわかりません。

また、東大理3の入試は2018年度から面接が導入されていて、それ以前とはデータの連続性がありません。1.03 というのは2013年度から2018年度までの直近(当時)6年分のデータから算出したもので連続性のないデータが混じっています。

ということで有意差あるなしは簡単には言えなさそうです。不正がある、と言うには有意差があることを立証すべきですが、上野氏は「不正がなくても合格率は女子が不利になる」という話をしようとしているので、本来は必ずしもその必要はありません。

しかし、実際には「不正がなくても合格率は女子が不利になる」の論証に失敗していて、実質「不正がなければ合格率は男女逆転する」という話になってしまっているため、結果的に根拠のない話をしている、という評価になってしまうのだと思います。

*1:ただし、東大理3の合格率の男女比が 1.03 というのは統計的誤差の範囲ではないか?という指摘はあります。しかし上野氏は有意水準を前もって設定していないのでなんとも言えません。有意水準を設定していない=統計的誤差を考慮していないこと、一般的には有意でないとされるのではないかということ、については批判されてしかるべきですが、その点については本エントリでは割愛します。

*2:その場合、論理的には問題はなくても文章構成としては A が投げっぱなしになっていて不自然な構成と言わざるを得ませんが。

*3:例えば墨東公安委員会さんのこの解釈 https://twitter.com/bokukoui/status/1382946024600137731 もそうなっていると思います。

*4:その傍証として、東大の女子比率は博士課程までは増えていくのに研究職になると地位が上がる毎に減っていくことを挙げています。