- チャーハンが赤かった。
- 「なぜこのチャーハンは赤いのですか」
- 「使ってるチャーシューが赤いからだよ」
- 「わたくしの常識ではチャーシューは赤くありません。なぜチャーシューが赤いのですか」
- 「食紅を使ってるからだよ」
- 「いえ、過程や方法はどうでもいいのです。チャーシューを作られた方がチャーシューを赤くせんと目論んだその意図はいった奈辺にございますか」
- 「赤いほうがめでたいからだよ」
- 「赤は祝祭の色。なるほどそれはコモンセンスでありましょう。しかしながらその理屈は誘爆範囲が広すぎます。ポストはめでたいのですか。シャア専用は祝いですか。海は赤ですか。山は赤ですか。貴方がた様の血は何色ですか」
- 「なんでチャーハンの色くらいでそんなに必死なの?」
「確かにチャーハンが赤くても xx の今後の人生には何一つ影響ありませんが、『「納得」は全てに優先する』って言うじゃないですか。じゃないですか……。微妙な敗北感を覚えつつ終わる。」
なぜチャーハンは赤いのか問題 (イン殺)
終わった話を蒸し返して恐縮ですが、確かに「めでたいから」と言われてもなんでチャーシューがめでたくなくてはならないのか(あるいは他の食材がめでたくなくてよいのか)意味不明であり、気になります。
そんなわけで今日のなんばりょうすけのちょっと調べてすぐ書く早漏日記は、なぜチャーシューは赤いのか問題。と、色々ぐぐってみてもそのものズバリはみつからなかった。
紅くて甘い肉の誘惑という記事に「なぜ紅い?」というセクションがあったのだが、この人の場合は逆に意図などどうでもよくて過程や方法の方に興味があったようで、
中華食材業者のウェブサイトを見ても、「紅いのはおめでたいから」などときれいごとを言うところはあっても、「食紅で色をつけてます」と明言しているところはなかった。
紅くて甘い肉の誘惑 (monthly oystergate)
我々と同様「おめでたいから」に納得いかないのだが、意図の方は追究されず。
色々ぐぐった感じではチャーシューのレシピやラーメン屋のレビュー等ではチャーシュー(叉焼)の縁が赤いのは「本格的」と見るのが相場のようだ。「なぜチャーシューが赤いのかといえば、本場中国のチャーシューが赤いからです」というわけだ。なんたる思考停止か愚民どもが!!
ここは外堀から埋めていくのが回り道のようで近道と見て、他に食紅で赤く着色している食材について調べてみた。
- 赤飯
- 元々米は赤いのが普通で、米らしく見せるため白米も赤くした時代があってそのなごり、ということのよう(きっちゃんのホームページ - 赤飯はなぜ赤いのか?)
- クジラのベーコン
- チャーシューに似せるため、あるいはおめでたいから…(クジラのベーコンは,なぜ赤いのですか?)
- タプティム(タイ料理のデザート)
- 「なぜ赤に着色しているのか… 本来の理由は分からないが、このタプティムと言う言葉はタイ語で「紅玉・ルビー」や「柘榴(ザクロ)」という意味があり、これに似せて作ったからということである。」(アロイ!!タイ料理)
- たらこ
- 「タラコは大正時代頃から塩漬けされて市場に出回るようになりました。しかし日にちが経つと鮮度が落ち色がくすんでくることから食品用の食紅で着色するようになりました。」(今週の豆知識)
パターン的には「元々赤いものに似せるために赤くする」という方向性があるようだ。だとすれば、チャーシューが赤いのも新鮮な赤い生肉に似せるためなのかもしれない。
なぜ似せるのかといえば、赤い方が好まれるから、売れるから、ということなのだろうが、それにしてもなぜ赤い方が好まれるのか。昭和41年の食品添加物に関する世論調査(内閣府政府広報室)を見ると、食品添加物に対する懸念からか、たらこ、たくあん、うめぼし、ソーセージ等を買う時に色の濃いものを選ぶという人は少ない(1割以下)が、その人たちは「きれいで感じがよいから」「新鮮な感じがするから」等の理由で色の濃いものを選ぶようだ。今ほど添加物にうるさくなかった時代にはそういう理由で赤いシャーシューが好まれていたのかもしれない。
しかし、「新鮮な感じがするから」はわかるが、一番多い理由の「きれいで感じがよいから」というのはよくわからない。ここには、なぜきれいなものを食べたがるのか、なぜ赤いときれいだと思うのか、の二つの問題があるが、前者は僕もきれいなおねえさんをたべたい(性的な意味で)とおもうので自明だということにして、後者を考えたい。
先日紹介したエイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤』は、コチニール(主に布の染色に使われた赤色染料)の歴史がメインテーマだが、赤色にまつわるトリビアもあちこちにちりばめられている。
- 作者: エイミー・B グリーンフィールド,Amy Butler Greenfield,佐藤桂
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/10/01
- メディア: 単行本
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まず、人間は生得的に赤に敏感であったのであろうという話。
哺乳類の多くが赤色をうまく認識できないにもかかわらず、人間の目は敏感に反応する。まるで赤い色を好む性質が、わたしたちのなかに組み込まれているかのようだ。そう考えれば、あらゆる言語において赤ということばが白と黒を除くほかのどんな色よりも古いのも納得がいく。青や黄色や緑よりもまず先に、血と火の色である赤が存在した。
『完璧な赤』 p18
そして人間の歴史が始まって以来、赤にはさまざまな意味づけられてきたという話。
はるか昔から、赤はいくつもの文化において神聖な色とされてきた。ネアンデルタール人は死者に赤土を被せて埋葬していたし、クロマニヨン人にも同じ風習があり、洞窟壁画にも同じ赤い鉄鉱石を用いていた。古代中国では赤は幸運の色とされ、繁栄と健康の象徴だった。アラブ世界では神の恩恵、あるいは忌むべきもののしるしと解釈される場合もあったが、それよりも男性の色であり、熱と活力の象徴であると考えられていた。サハラ砂漠以南では高い地位を表す色とされたのに対し、古代エジプトでは危険の前兆であり、邪悪な神セトに捧げる色となった。古代ローマ人は赤い光を聖火とみなした。原始社会においては多くの場合、色には悪魔払いや病気の治療、凶眼を避けるなどの魔術的な力があると信じられてきた。
『完璧な赤』 p18
ルネサンスのヨーロッパに限っても歴史の中でも既に複雑な意味付けが錯綜していたという話。
ユダヤ人の伝承では、赤は途方もない重要性と複雑さを備えた色だった。ヘブライ語でアダムとは "赤" を意味する。人間を象徴するだけでなく、出エジプト記の "燃え尽きることのない柴" に見られるように神性をも表す。鮮紅色は血の生贄の色であり、その生贄によって贖おうとする罪そのものの象徴でもあった。イザヤ書の一章一八節には、「あなたがたの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる」とある。赤にはまた財産や戦争、性愛という意味合いもある。ヘブライ語の書物では、赤い服を着ているのはたいてい裕福な男や勇猛な兵士である。雅歌ではいとしい人の唇を「紅の糸」にたとえている。また、古代ユダヤ人もほかの多くの文化と同じく、赤という色から恥ずかしさや体裁の悪さを示す典型的な反応である "赤面" を連想した。このように複雑でときには矛盾をはらむ、さまざまな意味が錯綜していたことは、ルネサンスのヨーロッパ人が受け継いだ豊かな遺産の一部である。人々がそれを思い出す手段となったのは、たいていはキリスト教の聖書であった。
『完璧な赤』 p39-40
きりがないのでこのくらいにしておきますが、とにかく赤い色は時代や文化を越えてさまざまに意味付けられる程に人を惹きつけてやまなかったらしい。また、『完璧な赤』のメインテーマでもある天然赤色染料の世界的な希少性という問題もあって、赤は価値ある色というイメージが形成されていったものと思われる。
しかし、そうなるとチャーシューの赤色が何を意味するのかますます不明になってしまう気もするのだが、このへんで力つきたので微妙な徒労感を覚えつつ終わる。