アンディ・ウィアー『火星の人』

火星の人

火星の人

映画『オデッセイ』の原作。映画の方はまだ見ていない。

なかなかおもしろかった。面白さの一つは、基本的に誰のためでもなく自分の生存のために知恵を絞り、計算し、汗を流し、休むときはだらだらと休む、というワトニーの火星ぐらしの脱力加減にあると思う。愛する人のために必死で、とか、精神力で逆境を跳ね返す、的な暑苦しさがなく、あるのはユーモアと計算。

火星の上でひたすら理屈と計算と幸運で命をつないでいく描写は、地球上の生活がいかに感情と物語と必然で飾り立てられているのかを気付かせてくれる。孤独とか孤高とかそういう話でもない。ワトニーは、いつか誰かがそれを読むと期待してログエントリーを残しているわけだし、乗組員の残したUSBに入っているテレビ番組をまったりと楽しんでいる。

地球の世の中のメインストリームを彩る暑苦しい文化に疎外されたように感じ、かといってそれに敢えて背を向ける生き方にも欺瞞を感じながら日々生きる僕みたいな人間にとって、ワトニーの火星ぐらしはリアルでポジティブだ。ワトニーにあって僕にないもの: とりあえずわかる範囲で何ができるか何をするべきかをきちんと計算して、不安に押しつぶされることも現実逃避することもなく、淡々と課題をこなしていく力。

とはいえワトニーは一人の力で生還できたわけではなく、彼を地球に還すために地球の人たちが何千億ドルというコストをかけている。そのお金があれば地球上で何人の人が救えるか、という話は出てこない。かといって聖書の羊飼いの喩えが出てくるわけでもない。

ワトニーは日付がソルからデイに変わったログエントリーで、人間とはそういうものだ、ということをさらっと記すだけだ。ことさら感謝や後悔をにじませることもなく。この感じ、『寄生獣』のミギーを少し思い出す。人間を他人事のように賞賛するあの感じが心地よい。

色々な事情で「とり残され感」に苛まれる人は多いだろう。僕もそうだ。ワトニーはそんな人にとってのヒーローだ。今日も生きよう。可能なら明日も。

(初出: facebook)