いじめの記憶について

「いじめ」について、それはどういう様態でどの程度のものか、どんな苦痛をどれほどあたえるものか、加害者はどんな人で被害者はどんな人か、回避可能性はどの程度あるのか、等々、について人それぞれのイメージを描いていて、それが話のすれ違いを産んでいる気がする。そもそも「いじめ」で強い人間不信に陥ったことがある人とない人ではまるで違ってくるのではないか。

そこまで言うならここで自分の体験を語るべきではないかという意見は当然あるとは思いますが、それは当時の人たちや、家族がまだ存命中なので、ここでいうことは批判になるから、今いうべきではないと思っています(参照)。