属性とリスク認知

例えば属性Xを持った人が殺人を犯す確率は一般人の何倍だ、という統計的事実があったとして、そもそも我々は一般人を見て「この人は殺人を犯すかもしれない」とは思わない。それってつまり「人を見たら人殺しと思え」って事だから、日本ぐらい殺人の少ない国でそんな考え方をする人は普通はいない。

普通の人は「殺人を犯すのは普通じゃない人」だと思っていて「一般人が殺人を犯す確率」に対するリスク認知がゼロなので、「属性Xを持つ人は一般人の何倍の確率」とか言われても倍率に応じたリスクを認知するわけではなくて「この人たちが「普通じゃない人」の正体か」と認識してしまうのではないか。

つまり「正しいリスク認知」とは程遠い「属性Xへの偏見・差別」が発生してしまう。属性Xが元々偏見や差別の対象だったなら「やっぱりそうか」と偏見や差別を正当化・強化することになってしまう。被差別当事者だってそういう状況で虚心坦懐に「エビデンスに基づく議論」なんてできるはずがない。

要するに、普通の人は日常生活では稀なリスクについて適切なリスク比較ができないから「一般人の何倍」みたいな比較の言葉で示すエビデンスを適切に扱えないのではないか、ということ。

なので、当面この手の議論は日常的にリスクに接しているプロに任せた方がよいと思う。エビデンスに基づく議論は一般人にとっても大事だけど、こういうケースでは日常のリスクを適切に認知してどの程度のリスクにどういう態度で臨むかという感覚を養うのが先ではないか。

(初出: facebook)