疑似科学の件

駝鳥さんに返事を書こうと思ってるうちにタイミングが。。。
この件をとりあげたgachapinfan さんのところで議論が続いているようです。

ちょっと余裕がないので、僕の言い足りなかったことをある程度補完してくれるような文章を紹介してお茶を濁します。

中西氏のこの文章、全体としては swan_slab さんが主張するような市民による選択を大事にしようという話なんですが、その前提条件として明らかなトンデモはきっちり排除しようとも言っています。

専門誌にアクセスできる人は少ないし、“科学的に証明された”“効果が明らかになった”と断言する医学博士が登場するのはしばしばであるから、そういうデタラメを排除することは大事だし、それは科学者コミュニティの責任である。

こういうことが証明されている、こういうことは証明されていないという情報が直接国民に伝わることはとても良い。ダイオキシンの影響について、乳児死亡率の急増と焼却炉の数の増加の相関とか、こういうのは統計的に証明できないということは早い段階で分かるし、マイナスイオンの影響とか、おかしな商品とか、そういうものについて“今の科学で効果は証明できない”とか、“データの処理が間違っている”とかの見解をできるだけ早く出すべきだと思う。

僕の言いたかったこともこういうことで、科学と非科学の境界は曖昧かもしれなくて灰色の部分は確かにあるけど、だからといって区別そのものが無意味だったり不可能だったりするわけではなくて、明らかに黒とか明らかに白という領域は確かにあるんだから、それなりの対応をしようということです。

上の記事ではデータ的に検証できるものが例に挙がっていますが、もっとありがちなのは既に否定されていることの蒸し返しです。そのまんまということもあるし、微妙に趣向を変えて新説のふりをすることもあります。こういうのは自然科学に限らず歴史修正主義の主張とかでもよくありますよね。

あと、官学の癒着が科学を歪めるという話はもちろんないわけではないです。でも権力は都合のいいものなら何でもそんなふうに利用するわけで疑似科学だって同様に利用されるのです。そしてどちらの場合もそれに対抗するには科学(と、社会の科学への信頼)が必要ではないでしょうか。*1

*1:このあたりは今はこれ以上強い主張ができない。。。例えば『背信の科学者たち』に出てくるような科学者コミュニティの脆弱性に対する批判を踏まえた上でどこまで言えるか。いずれにしろ、だからといってクソもミソも一緒にしていいわけではない、という点は譲れないけど。