自己承認

どうなんだろう。極東ブログの人は他人の承認で得られるよと言ってるが、僕もそうじゃないかと思う。

でも、他人の承認があっても不全感が残ってしまうってことは実際ある。それはよくわかる。いくつか理由はあるだろう。

彼らは「かわいい」「かわいい」と連呼する。下手をすると人の顔をうっとり見つめてくる。これが私の精神をひどく揺さぶった。とても「信じられない」のである。認めてもらうのは嬉しいが、頓珍漢な、そして過大な認められ方をされているようにしか思えないのである。

watapoco さんには watapoco さんなりの肯定的な自己イメージがあるのだけど、彼氏が肯定している彼女のイメージがまるで自分の事とは思えないイメージで、自分が肯定されている気がしないということなのだろう。ズレたイメージが承認されればされるほど、そのズレた部分、承認されずに取り残された部分に影が落ちる。そうやって突き詰めるとやはり「他人の承認」の不在ということになるのではないかなと思う。

もう一つ、これは watapoco さんの話ではなくて、僕自身の話だけど、他人の承認があって、その時は素直にそれを喜べたとしても、それが未来の自分に対する自信になかなか繋がらないということがある。穴のあいたバケツから水が漏れるように、時が経つと空っぽになる。他人から認められない空っぽな自分、という自己イメージが底から浮かび上がる。

今日のあの人と明日のあの人は違う、今日の自分と明日の自分だって違う。優しい言葉は今日のあの人から今日の自分に向けられたもので、明日の自分を明日のあの人が認めてくれるとは限らない。そんなこと当たり前のことなのだけど、でも、なんでみんなそういうことが怖くないんだろう?